HHKBに憧れて

HHKBに憧れて

HHKBは、僕にとって“キーボード”という分類では収まらない。
どちらかと言えば、万年筆に近い。
キーを押すというより、字を書いている。そんな感覚に近い。

初めて触れたときの驚きはいまも覚えている。
キーの深さがまず違う。ふわっと沈むのに、底まで届いた瞬間だけカチッと芯がある。
まるで雲みたいだし、わたあめを噛んだ時の“空気と密度が同居している感じ”に近い。
その感触に、軽快な打鍵音が重なってくる。
あれをリズムとして刻んでいくと、自然と気持ちが乗ってくる。
書いている以上の充足感がある。

このキーボードは、僕の書き方も変えた。
以前から、没入すると行間を詰めたくなる癖があったけれど、HHKBにしてから頻度が明らかに増えた。
文字が紙を埋めていくような、言葉に“重み”が乗る感覚がある。
不思議だけど、体裁が気持ちに比例する。
ただ文章を打っているだけなのに、書くという行為そのものが立ち上がってくる瞬間がある。

正直、安い買い物ではない。
しかも長年Macの純正キーボードを使っていたので、タイプとしては真逆と言っていい。
本当に合うのかどうか、自分でも判断がつかなかった。
だから一度レンタルして、二週間ほど使い込んでから決めた。
“書くことが本業だ”という理由を盾に、ようやく背中を押したようなものだ。

今はキートップを変えて遊んだりもしている。
外に持ち出すことも考えている。
愛着が湧いているので、できれば外でも同じ道具を使いたい。
外泊時に自分の枕を持っていく人がいるけれど、あれに近い。
ただ、どれだけ静音とはいえ多少は音がするので、そのあたりだけが悩ましい。
それでも、一度慣れた道具を手放す選択肢はあまりない。

良いキーボードを使おうと思った理由は単純で、料理人が良い包丁を求めるのと同じだ。
仕事道具の核になるものは、妥協しないほうがいい。
僕の場合、それが椅子とキーボードだっただけの話だ。

HHKBは、ただの入力装置ではない。
書き手の姿勢そのものを変える道具だと思っている。
万年筆が、インクの濃淡や紙との相性で“その日の書き手の状態”を露わにするように、
HHKBもまた、僕の集中や迷いを正直に返してくる。
触れている時間が長いほど、それがよくわかる。

そう考えると、やっぱりこれは万年筆だ。
育てる道具ではなく、使うほどに“自分の書き方が育つ”道具。
あの日の迷いも悩みも、全部ひっくるめて、その一本を選んだという意味で。