偉くなりたいひと

偉くなりたいひと

業界で偉くなりたい人は多い。
というか、この世界では「偉くなる」ことが、ほぼ唯一の正解として用意されている。
ビッグタイトルを取る。名前が知られる。肩書きが増える。
そこに向かって進んでいれば、だいたい間違っていない、という空気がある。

でも、その前提は本当に全員に当てはまるんだろうか、と思ったりもする。

同じ方向に動いていても、ゴールが違えば、その行動の意味はまったく変わる。
偉くなるために書いている人と、作ること自体を続けるために書いている人。
やっていることは似ていても、目的は別物だ。

偉くなることが目的になると、物語は「手段」になる。
評価を得るための作品。次のステージに進むための一作。
それはそれで合理的だし、否定する気もない。

ただ、少なくとも自分は、そこに一番の快感を感じない。

物語をつくっていて一番楽しいのは、完成した瞬間じゃない。
ましてや評価された時でもない。
執筆に入る前、想像が勝手に増殖して、頭の中がうるさくなっていく時間。
あの「まだ何者にもなっていない状態」が、一番プレイしている感覚に近い。

締切に追われている時や、オーバーワークしている時は、そんなことは言っていられない。
でも、だからこそはっきりする。
自分は“上に行くこと”より、“遊びが終わらないこと”をゴールにしているんだな、と。

先日、矢部太郎さんが出版社を立ち上げたという記事を読んだ。
子どもの頃から「たろう新聞」を作って遊んでいたという話を知って、妙に腑に落ちた。
ああ、この人は偉くなったんじゃなくて、遊びの形を変えただけなんだ、と。

業界で偉くなりたい人がいていい。
でも、偉くならなくても、作り続けている人間もいる。
同じ方向に進んでいるように見えて、ゴールはまるで違う。

少なくとも自分は、ビッグタイトルのために作る人間じゃない。
遊びが途切れない状態を、できるだけ長く続けたいだけ。