
SNS。
たまにやったり、やらなかったり。
必要だと思うこともあるし、縛られている感覚に嫌気がさすこともある。
好きか嫌いかで言えば、嫌いだったりもする。
厳密には、SNS自体ではなく、他者に依存する自分が嫌いなのかもしれない。
承認欲求が過ぎると、それは他者依存で、自分の行動が縛られるのがつらい。
見るだけならいいと思うけど、参加型のコンテンツである以上、社会を感じざるを得ない。
誰かの幸せな情報を聞いて、素直に喜べるならいい。
けど、そうでないこともある。
そのネガティブな感情を別アカで叩く人もいるけど、そもそもそんな自分を見ているだけで、心が砕けそうになる。
わざわざやるものではないな、と最近は思う。
で、話は戻るけど、全く意味がないわけでもないのが憎いところ。
情報の瞬発性で言えば、ショート動画と同様、パワーがある。
なんやかんや言って、軽くは見たりするからね。
けど、なんで見るんだろう。
微量の毒を求めているのかな。
認知的不協和みたいなもので、分かっているけどやめられないものなのか。
人間はもともと集団生活をする生き物だから、本能として誰かと繋がろうとしているのかもしれない。
無駄な人間と繋がるくらいなら、一人で生きていく方がよっぽど自由だと思っている。
けど、それもまたバランスなんだろう。
ただ、欲しがるのはやっぱりできない。
“見て見てオーラ”を発している人を見て、格好悪いと思ってきたのは事実だし、同じことはしたくない。
けど、“見て見てオーラ”って、表現者はみんな出していると思われるかもしれない。
そもそも僕もこのサイトを運営している以上、誰かに見てもらおうとはしている。
だけど、そこは自分の中では全く違っていて、誰かに見られている感覚でやっていないのが特徴。
不特定多数が見て、気に入ったらまた来る。
ブログやホームページは、そういう距離感だと思っている。
X(旧Twitter)やインスタ、TikTokは、見て「いいね」をもらう前提で設計されている。
その点で、ブログやホームページとは一線を画していると思う。
僕の理想は、ボトルメールのノリで、ただ媚びないものを発信していくこと。
情報と言っても、僕の生活だけど。
政治を語るのも怖いしね。難しいことをするつもりはない。
こんなことを続けて意味があるかは分からない。
けど、題材を変えながら、いろんな角度から自分の思考を見つけていけたらと思って、この記事を残す。